恩納村役場の道向うに生まれ育つ旧恩納村役場とあの有名な恩納岳を見て育つ。
琉歌、恩納岳 あがた 里が生まれじま、森ん うしぬきて くがた なさな 。                  波の声も止まれ、風の声も止まれ、首里天がなし、見ゆんち 拝ま
右側がシゲマサ。小学1年生ぐらいです。
親父さんは小学校5年の時に亡くなられる。当時60歳、シゲマサは50歳の子供です。
左手が母親です。今も元気です。当時60歳やんちゃなシゲマサに苦労させられたそうです。
幼稚園の時、最愛の初子ネーネーが逝く。急性盲腸で高校2年さぞ天国で無念だっただろう。母親がものすごく悲しんだ石川高校で成績トップクラスで将来を有望視されていたそうです。
曾おじいちゃん、おばーちゃん、明治時代に有名な籠担ぎ(つまりタクシー)名護を1日3往復したとエピソードが残っているそうです。その頃は周りに貨幣を持っている人は珍しくそれを元手に田畑を買い資産を増やしたそうです。
当時の幼稚園(脱脂粉乳ミルク時代)